人にはみな、生まれ持ったそれぞれの役割があるのじゃないかな、
と思います。
得意なことや興味のあることを追求(究)していくと自然とその役割は
みえてくるのではないかなと。
そして、その役割を全うするときはじめて、
生まれてきて今生きて社会の中に存在する意味がある
といえるのじゃないかなと。
私自身は、自分の役割は補助的に人の助けになることだと思っています。
だれかに必要とされ、それにこたえらるとき、もっとも自分の存在価値を感じることができ、
幸せだなぁと感じるからです。
人はいつも元気とはかぎりません。体も心も。
でもいつも不元気とも限らないし、みんな元気になる権利もチャンスもあります。
そんな苦しいとき、その人が自分の本来の力を引き出せる状況に整うよう、
フォローできたら幸せです。
特別に何かするということではなく、あくまでも、本人の力を引き出せる状態・環境を
整えるという意味でのフォローです。
怪我や病気をしたならドクターや薬や、治癒するための環境がそれにあたるでしょう。
最終的に治すのは本人の力ですから。
つまり、本人が治るための手助け、治療の役割をできたらいいなと、
またそれが自分に与えられた役割なのじゃないかなと感じています。
そのためには、日々の過ごし方、生き方そのものが
自身の役割を果たせる自分になれるかどうかに大きく関わってきます。
勉強、日々成長していかなくてはなりません。
そして自分の得意をその役割に活かしていきたいと思うのです。
人の助けになるなどといった、たいそうなことは一朝一夕にできるものではなく、
だから日々気付いたことをこうして書き留めていきたいのです。
どんなことがどれだけどんなときの助けになるかわかりませんから。
自分が、自分の過去の気付きに教えられ、救われることもあります。
最初にそれを書き留めた時とは、違う状況や内容なのにもかかわらず。
だから私は思うのです。
真に大切なことはいつもとてもシンプルで、すべての基本なのだと。
自分の役割を全うし真摯に生きるなかでこそ、そうした基本に出会えるのだとも。
人は考えることを生きる動物だから。日々勉強、日々成長ですね。
そう考えると人生に無駄なことなんてひとつもなく、すべてが必然だなと思えます。
少し話がそれましたが、
「役割」は例えば仕事であれば、
仕事を通じて社会や人とどう関わり、どんな意味を持っていくのか、
だと思うのです。
平たく言えば、仕事を通じて自分が世の中のどんな存在でありたいのか、
そこに目標点をおく、ということです。
それができる仕事がいわゆる天職というものなのではないでしょうか。
仕事に限らず、人といる時の位置というような意味でもいいかと思います。
いろんなタイプ、個性の人がいてこそ世の中は成り立っているわけで、
いなくていいタイプや個性なんてないのですから。
それぞれがその役割を全うする時、うまく回っていくのではないでしょうか。
そして役割を知ったなら、
それをより確かで意義ある形にしていけばいいのではないでしょうか。
一つづつ、一歩一歩。