今日は、最近の信じられないような事件のニュースを見て感じたことを少し書きます。
人は、一つ知ると、知らなかったころの自分を失う。
これは、確かな事実。
知ったことがいいコトであれ、悪いコトであれ同じ。
知識や経験を増やすことは、豊かな人生にするために欠かせない過程であり、
自らも積極的に行なっていきたいことである。
けれど、「犯罪」と呼ばれるような行為については、
みんながしないのは、「やれば出来るけれどしない」という選択をして
暮らしているからでしょう。
犯罪を犯してしまう人はそこをちょっと誤解しているのかもしれないと思うのです。
みなが「できない」ことをしてやろう、というように。
それはすごいことでもなんでもなく、おろかなだけなのに。
妙な欲望に負けて増やした「経験」は、
それを経験する以前の自分を失う、
つまりその後の一生を変えてしまう行為なのに。
犯罪の被害者や、被害者及び加害者の周囲の人々だけでなく、
自分そのものをもとりかえしのつかないほどに傷つける行為なのに。
そこまで考えて行為に及んでいるのか、単に考えられないのか、
それともそこまで考えることそのものに必要性を感じられないのか、
最近の物騒なニュースを聞いていると疑問に思います。
そんな状態を作っている社会的背景など言及すべき対象は多々ありますが、
なんとも考えさせられます。
犯罪に限らずもっと身近なことに関しても、
私たちは日々そうした選択を迫られ、自らの生き方を決めて
今日まで生きてきて、今の自分があるのではないでしょうか。
私自身も、自らをも傷つけるような選択をいくつもしてきましたが、
だからこそ、実感としておもうのです。
事件について、思うところは他にもいろいろありますし、ここで書いたことは、
ごく一方向からだけの見方ですが、
一つ書き留めておきたいと思ったことだけ、
ちょっと書き出してみました。