ちょっと重い?かもしれないけれど、
今日、ぽんと頭に浮かんだ考えを
つづってみます。
* * *
『好き』と『愛している』は根本的にぜんぜん違う。
そんなことを今日、ふと、ほんとうにふと、気づいた。
好意の度合いとかレベルと言うことではない。
実際そんな言葉を口に出して言うことはそうそうないけれど、
「好き」の最上級が「愛している」だというような理解は
皆共通に持っているのじゃないでしょうか。
でも、この二つは似て非なるもので、単にレベルの違いじゃないと思うのです。
『好き』というのは感情だけれど、
『愛している』というのは愛するという行為をしている状態のこと。
『愛する』には、
対象となる相手を「大切にする」という具体的な行為が含まれている。
つまり、「愛するという行為をしている状態」とは、相手を大切に想っている状態のこと。
「愛」には「好き」が含まれるけれど、
「好き」には必ずしも「愛」が含まれるとは限らない。
大切にする行為や気持ちがない場合、そこには「愛」は存在しない。
大切に想い、相手(または対象物)のためになると思われることをする、
ためにならない、相手が望まないと思われることはしない、
これが愛する、または愛がある関係ということ。
「大切にする」にはやさしいだけじゃなく相手を思うが故の厳しさや、
究極の愛ともいえる「許し」なんかも入ってくるけれど、
話が長くなるので、ここではあえてそこまで触れない。
私は聖職者でも聖人でもまったくないのだけれど、
こうした考え方は特別な人が特別なときに持ったり話したりすることでもなく、
当たり前のことだと思うので、ちょっとかきだしてみました。
理屈っぽいかもしれないけれど、言葉のもつ意味を考え、
身近なもの一つ一つから 愛情を注いでいけたらいいなと思うのです。
また、そう意識することでなんだか暖かな気持ちになれるからふしぎです。